四方山噺日常録-Retreat Daily Record-

仕事を離れた人間が気ままに過ごす日常録

まるで三千里たずね歩いたかように

何かの作業をしていた折に、ふと喉の渇きを感じた。いつもなら冷蔵庫にある水を飲んでおしまい、だが、この時に限って、炭酸飲料が飲みたい気分になった。しかも、「レモン40個分のビタミンCが入っている、あの炭酸」が飲みたい。

家の近所にコンビニがあるので、すぐに買って戻ってこようと家を出た。まさか、この外出が「すぐに終わらない」ことになるとは、この時の私には予想出来ていなかった。

1ヶ所目のコンビニ。飲みたい「あの炭酸」が売っていなかった。人の記憶とは実に曖昧である。間違いなくここにあると考えたからこそ家を出たのに、と思いつつ、視界の端に別のレモン味の炭酸飲料を捉えた。「同じレモンだし、これでもいいかな」と手を伸ばしかけたその時、いや、ちょっと待って、と別の考えが浮かぶ。

久々の炭酸、この1本で妥協して良いのか?ここから少し歩いた先に、別のチェーンのコンビニがある。あのコンビニ店なら、目当ての「あの炭酸」が手に入るのでは—。

伸ばしかけた手を引っ込めて、ちょっとだけ雑誌コーナーを眺めてから、近所のコンビニを出る。そうだ、私は「あの炭酸」が飲みたいのだ。巡り会えるチャンスがあるなら、掴みに行くしかないだろう。

2ヶ所目のコンビニ。「あの炭酸」の姿が見えず、まさかの空振り。店内の品揃えが豊富で、たまにピンチな時に重宝しているのだけれど、今回は仕方ない、と考える。飲み物のコーナーには、レモン味の炭酸水が冷えていた。そろそろ小雨が降りそうだし、これを買って帰ろうかな、とぼんやり思う自分に、また別の考えが浮かぶ。

ここからまた少し歩いた先に、また別のチェーンのコンビニがある。あのコンビニ店は今までのコンビニ2店舗より、売り場面積もやや広いから、もしかしたら「あの炭酸」が見つかるかも—。

「妥協」の2文字をゴミ箱に捨てるようにして、早足で2ヶ所目のコンビニを出る。空を覆う雲を軽く見上げながら、3ヶ所目に急ぐ。

3ヶ所目のコンビニ。「あの炭酸」はここにも売っていなかった。近所で終わると思っていた旅だったが、家から思いのほか、距離が離れてしまった。

さぁ、どうする。コンビニはまだまだ探せばあるが、全て違うチェーン店をあたっても見つからないということは、ローラー作戦にも限界があることを示している。方針転換が必要か。

時計を見ればすでに結構な時間が経過していた。間違いなく、さっきの2ヶ所目でも雑誌コーナーを少し眺めてしまったせいだ。コンビニの他に食料品を売っている店は……ある。駅に近くなるが、ここから更に少し歩けばスーパーがある。もう、ここまで来たらサイダーやスパークリングウォーターはいらない。「あの炭酸」だ。「あの炭酸」しか望まない。

駅に向かうような道を歩く。途中で自動販売機もあったので目を向けたが、どうしても「あの炭酸」が売っていない。

こんな日もあるのか、いや、良い運動として捉えれば、こんな日があるのも幸運なのかもしれない。とにかくスーパーがもうすぐそこだ。まさか売り切れ、なんてことがありませんように、と祈るような気持ちで、曇天の下をずんずん進む。

スーパーの店内に入る。飲み物売り場まで一直線に行く。緑茶のペットボトルにも脇目を振らず、「あの炭酸」を探す。

あった。ついにあった。「あの炭酸」だ!黄色いラベルに、レモンの絵と「レモン40個分のビタミンC」と表記された赤いマークが輝いている。何だか報われた気持ちがひたひたと心を満たす。良かった。妥協せずにここまで来て本当に良かった。

せっかくスーパーに来たので、他にも足りない調味料やお買い得の品があれば買おうかとも考えた。しかし、もう「あの炭酸」が手に入った安堵と、いつ雨が降り出すか分からない不安から、何も追加せずにレジに向かって支払いを済ませた。

まだ日が昇っているうちだったので、家までの道も歩いて帰る。すぐに帰るはずが、まるで「あの炭酸」を求めて、三千里たずね歩いたかのような気分と時間になってしまった。気付けば、探している時には不思議と片隅に追いやられていた喉の渇きが、帰り道で戻ってきていた。

もう飲んでしまおうかと、「あの炭酸」のボトルを袋から手に取ったが、またそっと戻した。きっと家に帰ってから飲んだ方が、苦労した分美味しいに違いない、と信じて。