四方山噺日常録-Retreat Daily Record-

仕事を離れた人間が気ままに過ごす日常録

孤独な生命力の強さ

街を歩いていると、時折思いがけない場所に一輪の花が咲いている風景に出逢う。

最近、出会ったのはタンポポ。街に行く度につい気になって、一輪のタンポポが咲く一角を意識して通っていた。今日、無事に綺麗な、球状の綿毛になっていることを確認した。

タンポポに出会って驚くのは、時にアスファルトの道端やコンクリートの隙間、石で出来た階段の僅かな間に根を下ろし、そこで生きていることだ。その姿は、まるで「孤独な生命力」の象徴のようである。自分たちが考えるよりもはるかに厳しい環境で育ちながらも、タンポポは美しい花を咲かせ、次代へその花を繋ぐ。

他に仲間もおらず、時に水が上手く得られるかどうか、根や葉を広げられるかも分からない環境で、タンポポがどのようにして生き抜いているのかを想像するのは難しい。見られるのはごくわずかな期間、目に止まるのは大抵、黄色い花を咲かせる前後ぐらいである。孤独な生命力が粘り強くあらゆる環境に耐え、花を咲かせた証に足を止め、その証を認めることしか出来ない。

その有り様については、人間も似たようなものなのかもしれない。成果を出す前の、努力している姿が評価されることなど稀である。いかに努力を積み重ねたとしても、やはり成果を、それも「目に見える」成果を出さないと人の目には止まらない。厳しい世界である。「私は成果を出せませんでした。でも努力しました」という文言で認められる世界であれば、もう少し、世の中に優しい風が吹いていたのだろう。

タンポポの花を見つけた時に思わず足を止めてしまうのは、孤独とは無縁のような美しい花を咲かせながらも、実は孤独と闘いながら生きていることを物語っているからかもしれない。孤独に耐えながらも、自らの美しさを表現し続ける。その姿に厳しい世界で生きる誰かを、自分を重ねているからではないだろうか。

綿毛の下に無数の可能性を秘めたタンポポの種たちは、きっと今頃、セットした髪の毛を撫で回していくような強い風に乗って、新たな旅に出ていることだろう。公園へ、ビル街へ、果てまた、道行く人にお供して、どこまでも遠くへ。そして、旅の果て、根を下ろした地でまた、孤独な生命力の強さを証明するために闘い、生きていくのだ。