四方山噺日常録-Retreat Daily Record-

仕事を離れた人間が気ままに過ごす日常録

花も団子も、ラテまでも

私がペンネームに「桜」の字を使ったのは、ひとえに桜が大好きだからである。

年中、百円玉の中でも咲いてはいるが、やはり桜は春の陽気と共に、淡い色で咲き誇る花を、確かめるように愛でるのが良い。

毎年、桜の木々が立ち並ぶ地点が多くの人々で賑わう理由は、もちろん、花の美しさや誰かと集まる楽しさもあるのだろう。が、やはり自分の目で、1年の中でも貴重な瞬間を確かめ、記憶に刻みたいという想いも、心の片隅にあるからかもしれない。

桜を見ると、よく「花より団子」ということわざを思い出す。北村孝一氏が編んだ『ことわざを知る辞典』によると、「見た目や品位よりも実質や実利を重視することのたとえ。また、風流を解さないことのたとえ。」という意味だとのこと。

花見を楽しむようになってから「『花より団子』にならない花見をするには、どうすれば良いか」が私の中で勝手に問題として浮かび上がっている。花と団子、品位と実利が対等になる関係性。これが難しい。

子どもの頃からだんごが好きなので、気が付けば、花見のお供といえば必ずと言って良いほど、だんごを口にするようになっていた。

桃、白、緑の3色揃った「花だんご」、1本が120円か130円くらい。自分の心の中で「問題を解決するためだから」と言い訳をしつつ、花見でだんごを食べる時は「花」より「団子」側にどうしても気を取られがちになっていた。

そんなある春、だんごを頬張りながら、「食べる団子にも桜を取り入れたらどうか」という答えを思いついた。桜で出来たあんこを、真っ白な3つのだんごにたっぷりと乗せた「桜だんご」。これならば、淡い桜色の花と濃い桜色のあんこの両方を愛でて、楽しむことが出来る。

だんごを食べる姿勢もまた、自分の中で勝手に問題にしていた。目線を桜の方に向けるとなると、自然と顎が上がる。肘が広がらないように気をつけながら腕を上げ、桜とだんごが常に同じ視界に入るようにしつつ、だんごを口にする。

こうすることでなるべく、「桜の花を見ながら、桜あんの団子を食べる」ことが出来る。すなわち「花も団子も」対等な関係を作ろうという、おそらく実行する本人以外からすれば、ちょっと不思議な画に見えるかもしれない努力である。

最近の花見では「桜だんご」だけでなく、「桜ラテ」にも手が伸び始めた。家の近所にある公園で、この時期、桜で出来たあんこを牛乳に溶け込ませ、しっかりと桜の風味が味わえるラテが売りに出されるコーヒースタンドがある。

こうなると、「花も団子も、ラテまでも」である。意味は「1つの事象をあらゆる角度の視点から堪能しようとするさま。また、とにかく桜を愛でたい気持ちの表れ。」となるだろうか。

(※今週のお題「あんこ」に参加)